演劇ブックレビュー 第10回

佐藤郁哉『現代演劇のフィールドワーク』東京大学出版会、1999年

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 本書は、綿密なデータと詳細な調査をもとに、現代演劇のこれまでの歩みを多くの理論において分析、そして今後の展望を示したものです。500ページ以上に及ぶ記述は、社会学の専門的な価値とともに、演劇人のあり方をできるだけわかりやすく示しています。著者は日本における社会調査の第一人者であり、本書でもインタビュー調査、そして実際に劇団の一員として活動し、内部者と外部者の視点を兼ね備えたデータを膨大にそろえています。また一橋大学商学部に籍を置いており、社会学の膨大な文献とともに、いわゆる「芸術経営学」の文献もひき、小劇場の姿を理論的かつ実情に即して描き出しています。はっきりいってこれまでの常識を覆すほどの演劇書の決定版で、ある視点においては演劇書はこれ1冊で十分とさえいえます。ボリュームがあるので、これから何回かに分けてレビューしていきたいと思います。
 なぜこの本が一押しか、高いし買いたくないという方は、序章だけでも読んでみてください。序章では問題提起の章です。筆者の経験をもとにした文章では、日本においては欧米と比較して演劇に対する「非日常性」、つまり何かわくわくするような感じではなくどこかよそよそしい感じが高いという指摘から始まります。そして日本における演劇関係者がいかに悲惨な生活を強いられているかを述べ、それが「芸術の自律性は経済上の自立性とは両立しがたい側面があり、芸術表現上の自由は遅かれ早かれ経済的な不自由さという限界に直面せざるを得ない」(p.14)ことに由来すると看破しています。そしてそのディレンマを解消するためには「ビジネス化」「被助成化」の2つが考えられ、その問いが産業的、職業的、そして組織的に3つの問いを突きつけるとしています(p.15-16)。すなわち、

ビジネス化…芸術は芸術であることを失わずにビジネスになりうるか?
被助成化…芸術は芸術であることを失わずに何らかのパトロン(国家、財団、企業、特定個人など)による保護や助成の対象になりうるか?
産業化…芸術の世界をいかにして産業として成立させ「業界」を形成することができるか?
組織化…芸術においてチームワークを成立させそれを維持することはいかにして可能か?
職業化…芸術家の活動はいかにしてプロの職業として成立させることができるか?

 という5つの問いです。このように問題を整理するだけでもかなり意義深いといえますが、本書ではこれから3部に分けて、それらの問題を考えていきます。第1部ではビジネス化と被助成化の問題、第2部では産業化・組織化・職業化の問題を考察し、第3部で結論を論じています。
 第1部の第1章では、「サクセス・ストーリーのてんまつ」として、80年代後半に起こった「小劇場ブーム」を通じて、演劇のビジネス化の可能性と限界を考察しています。小劇場ブームの立て役者である夢の遊眠社と第三舞台の公演実績表は筆者の調査によるもので、これも大きな価値があります。また図表に混じって公演写真も多く掲載されており、演劇関係者も読みやすい工夫が見られます。そして小劇場ブームの裏に潜む「小劇場すごろく」、つまり小さな劇団から小・中規模の小屋へとステップアップし、「アガリ」として紀伊國屋ホールで公演を打つというサクセス・ストーリーを明らかにし、「一九八〇年代の小劇場シーンが抱えていた一つの限界は、そのような効果を持つ成功神話(サクセス・ストーリー)の次にくる新しい展開、すなわち双六でいえば一応の『アガリ』に相当する紀伊國屋ホールや本多劇場での公演に続く新たな展開についての見通しを作り出せなかった点にある」と分析しています。同世代の演劇人ならうならずを得ないでしょう。それを劇作家の文章や独自のインタビューデータで裏打ちしています。

 そして後半は、演劇における「商業主義化」について考察を進めていきます。筆者の優れているところは、「一種のダーティワード」(p.49)である意味そのままに考えず、もっと深く考えた上で議論しなくては「議論の出発点になるどころか、むしろ不毛な水かけ論を招きかけない」(p.49)という意識を持っているところです。演劇で成功したいと思っている演劇人は、それを否定しても肯定しても、「商業主義」についてダーティなイメージを持っているのではないでしょうか。筆者は演劇における商業主義を批判する評論家やジャーナリストの議論においては、「具体的にどのような現象や傾向を指して『商業主義』といっているのかが」わからないこと、「小劇団関係者を芸術以外の営利の追求や世俗的な名声・人気の獲得に走らせる(と彼らが考える)社会的メカニズムや『システム』について具体的な検討をおこなっていない」こと、そして「商業主義の波に翻弄される存在として彼らが描く小劇場の集団構成を単純化してしまいがち」であると批判しています(p.50-51)。わかりやすくいいすぎれば、ちょっと派手な舞台を演じただけで「商業主義だ」といったり、芝居以外での副収入を得ることを批判したり、「演劇関係者は貧乏でもなんとかがんばっていけるはずだ」などと勝手に考えたりするようなことは誤りだということです。
 そしてそのような商業主義的考えの背景にあるのは、市場構造として「文化産業が提供するソフトを無反省に受容する」あほな大衆を想定し、価値判断において「かつての前衛劇についての一種のノスタルジーを基本的な基準」にし、劇団を漠然ととらえたイメージで論じていることを指摘し(p.57)、それを1つずつ明らかにしていきます。まず夢の遊眠社や第三舞台における成功は、それにかかるコストを加味しても、演劇業界では大成功でも、映画や音楽など他の業界との比較、つまり一般的な業界においては、必ずしも成功とはいえないことを指摘しています。同時に客層が一般大衆を取り込んだというより、劇団びいきの客層がそのまま増えていたという事実を導いています。今はCD100万枚とか簡単にいくし、映画はロングランとか簡単ですが、「本質的に労働集約的な性格をもつ」(p.74)演劇は収益性が低く、いくら客を入れてももうけは少ないという実情をつかんでいます。冠公演や小屋との連携公演、ぴあなどのチケット販売制度やプロデューサーの工夫などは、ただもうけに走るという簡単なものではなく、劇団員に対してどう報酬を支払っていくか、という深刻な問題をクリアし、経済的自立を図るためのささやかな策ということです。そのような工夫をしても、小劇場ブームの中で成功した劇団が学んだのは、「いかに観客動員を拡大したとしても、公演収入のみでは公演制作費と事務所維持にかかる経費をかろうじて捻出できる程度に過ぎず、劇団員がプロの演劇人としての生活を支えるに足りるだけの収益を得るのはきわめて困難だ」(p.95)ということだったと結んでいます。
 中小劇団から見れば、大劇団は「くそー、もうけてんなー」というイメージを持ちがちですが、そのような「もうけているようにみえる」劇団も、はじめは借金だらけで、採算ラインにのっても公演収入だけでは団員を食わせることは困難であるという事実はわれわれを驚かせます。そしてそのような劇団はただ、「劇団員を芝居で食わせる」という一点だけを考えてあの手この手を使って収入を増やしているという姿がみられました。しかし劇団員を食わせるためにTVや映画の仕事を増やしていくことが劇団活動への分散化を生み、結局舞台の世界にすぐれた演劇人の「層」を形成することができなかった、としています。そして小劇場ブームで成功した劇団も、活動の忙しさから観客に刺激を与えられるような「手作り感」を失ってしまったことから解散・休止してしまい、小劇場ブームは終焉を迎えたとしています。
 またあとの章でもふれられるようですが、「商業主義」「金儲けに走る」などという言葉に、われわれはどうしても抵抗を覚えてしまいます。自分の劇団はそんなことはない、と。これまでの議論は「そんなこといっても所詮は商業主義だ」という、身も蓋もない結論が多かった中、「いや、芝居で食うっちゅうのは大変なんやで」という実情をありのままに描いたことには、感激すら覚えます。


 これだけ読んでもまだ1章というボリューム。ですので、何回かに分けてレビューしていきます。

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Created by Yuichi Matsumoto
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