演劇ブックレビュー 第11回

佐藤郁哉『現代演劇のフィールドワーク』東京大学出版会、1999年

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 第2回は、第2章「新たな物語のはじまり −被助成化の可能性と限界−」の部分です。前回の第1章と第2章で、第1部「小劇場ブームから文化行政ブームへ」を構成しています。

 第2章は、小劇場ブームとともに80年代の演劇ブームを支えたもう1つの側面、「文化行政ブームとメセナブーム」、つまり「芸術に対する行政および民間による助成が拡充していった」現象を、学問的な理論も交えて明らかにしています。難しい専門的な理論も紹介されているので第1章よりは難解ですが、助成を得てがんばっていこうと思っている方には貴重な示唆を与えてくれる章です。

 その章は平田オリザ率いる青年団の年間4000万円の助成を得ることができたケースを紹介してスタートしています。青年団がいかに大きくても、これだけの助成があれば、公演を収支とんとんにすれば十分劇団員を「芝居で食わせる」ことができるでしょう。しかし演劇理論と同じぐらい劇団経営の知識のある平田氏にとっても、この助成は「唐突だった」という感想を抱いています。これまでの小劇場系のやり方(前章でいう「小劇場すごろく」的手法)をとらず、アゴラとの提携や地方公演の増加などの戦略を駆使し、これからが平田氏のうでの見せ所というときに、唐突に大金の助成を受けることができたわけですからね。その次にある8ページにわたる表には、助成を受けた劇団名とその金額の推移が詳細にまとめられていますが、これをみても助成の「力」というのがいかに大きいか、それによって劇団がいかに潤っているかがわかるでしょう。ふつうにやっていたのでは「日本における劇団の現状からして、『芝居で食うこと』がいかに遠い夢であるかがあらためて明らかになる」(p.135)資料を見ると、その中で助成を増やすことでその夢が実現可能であることが実感できます。
 しかしそのような現状をもたらした「文化助成ブーム」には4つの「事件」があったとしています。それは「自治体文化行政の転換」、すなわち文化行政の地方化とその代表ともいえる公立ホールの建設ラッシュ、次にその典型ともいえる「新国立劇場の開場」、代表的な助成基金である文化庁の「芸術文化振興基金・アーツプラン21の創設」、そして「企業メセナの進展・芸術系民間財団の誕生」の4つです。これまで首都圏の一部にしか行き渡らなかった文化助成の波が、地方にも行き渡ることになったのと同時に、企業や民間からも助成がでるようになったことが、文化助成ブームを下支えしているといえるでしょう。

 国家の文化助成は、「文化国家」と「文化都市」の実現を目指した政策によって実現されました。「物的豊かさより心の豊かさ」「文化の時代」「地方の時代」「文化の発信」という4つのキーワードに代表されるその政策によって文化助成の金額も大幅に上昇し、ええことずくめのように見えます。確かにお金がなくなっては非常に困りますが、筆者はそれは国家政策の根本的な限界に根ざした、非効率でゆがんだものであるという「疑念」を抱き、その実体を克明に描き出していきます。まず「物的豊かさより心の豊かさ」という世論の代表的な意見すら、誘導質問的な質問によって導かれていると指摘しています。その粗雑な論理構成に加えて、「文化の発信」という言葉自体に、その病理性はひそんでいるといっています。それは文化レベルの高いところから低いところへの「発信−受信」関係を規定しており、それは「実際に人と人とが長い時間をかけて直接接触し交渉を積み重ねていく地道な営みを通じて形成される」(p.162)文化の「交流」とは異なるものであるとしています。確かに一方的に文化を発信するというのは、大衆をあほな存在としてみていることにつながりますよね。「強者と弱者の二項対立関係を止揚し、強弱あるいは優劣の関係など存在しない対等の立場での文化交流」というのが目指す姿だとしているのです。

 そしてここからは先ほどあげた4つの事件の内情をなまなましく描くことで、そのゆがみを指摘しています。まず急に乱立した公共ホールの中には、芝居をやることを想定していないとしか思えないような「欠陥」があるものが多いということです。本書に引用されているのは、

  • 音響ルームや照明ルームから舞台が見えにくい(あるいは全く見えない) …キューはどうやって出すんでしょ?1つのキューを出すのに3人ぐらい経由するんですかね?
  • メイク落としのための水場が稽古場や楽屋ないしその近くにない …全部クレンジングで落とせと?
  • 楽屋裏の通路がないため、上演中に出演者が舞台を通らずに上手から下手に移動するためには舞台あるいは劇場じたいの外にでなければならない …お客さんとばったり会ったらどうするんでしょ?
  • 公演がまだ終わっていないのに、規定の時間になったとして幕を下ろしてしまう …暴れるぞ。

 などです。特に最後はひどいですね。そこまではなくても新国立劇場も調整の行き違いから、見たことないですが東京オペラシティの中ではなにやら浮いた存在になっているようです。助成金の話は政治がからんで、あきれるような背景があるようですが、紹介したくもありません。

 そしていよいよ「文化行政ブームの実相」として、その病理を明らかにしています。ここから少し社会学と組織論・意思決定論の知識がでてきます。「そんなのわからんわい」という方、なるべくわかりやすく説明するので、投げ出さないでくださいね。筆者の先生はとてもえらい先生で、この本もわれわれ演劇人だけでなく、社会学の専門書としても非常に価値の高い本なので。1つ目の「完全行政と『ストリートレベルの官僚制』のあいだ」という見出しで早くも煙にまかれそうですが、「官僚制(ビューロクラシー)」とは、要は「お役所的」な制度のことです。もちろんきちんきちんと仕事をこなすよいところが多いわけですが、なんか冷たい、担当でないところはやらない、前例のないことはやらない、などの悪い面もありますよね。ここではその悪い面がでて、中央で決められた文化政策が地方にあまり浸透せず、地方は勝手に処理していくという実態によってテント芝居ができない、というエピソードが紹介されています。

 次の「『ごみ箱モデル』と『増分主義モデル』」という見出しは僕も逃げ出したいぐらいですが、ものごとを決める(意思決定)考え方です。われわれはものごとを決めるときには、考えられる選択肢を全部考えて、その中から最適なものを選んでる(これが「合理性モデル」)、と考えがちですが、組織、特に行政組織の中では必ずしもそうではないという考え方です。まず「ごみ箱モデル」というのは、問題と解決策、さらにそれを考える人(参加者)の間で、偶然利害が一致したものが選択肢として選ばれる、という考えです。本文にある道路工事の例ですと、「余った予算」という解決策が、それに対応する問題(とりあえず使わなければならないので、どこでもええから壊れてるとこないかなと)を求めて独自の論理で動いてる、と説明できます。同じように文化行政も、比較的余裕のある補正予算が組めるという選択肢が、何か使い道を求めてさまよってるうちに、文化行政といういい問題と偶然にマッチングした、という側面もあるのではないか、という指摘がなされているわけです。一方の「増分修正モデル」というのは、最適な選択肢を選択するよりは、大部分はこれまでやってきたことをそのままやって、都合の悪いところ(これでいう「増分」)だけを修正して使う、という考え方です。その方が失敗したときのリスクが少ない、という理由からです。つまりごみ箱モデルによって文化行政という問題は出されたものの、その解決策は必ずしもそれに沿っているとはいえず、今までのお役所的なやり方でそのまま解決しようとしているところから、上に上がったような変なホールができてしまう原因になっている、と指摘しているのです。つまり「政策の大枠にかんする決定においてはごみ箱的モデル、実施局面では増分主義」(p.183)ということですね。
 このような意思決定に加え、第3の見出しである「無政府的組織としての政府と文化行政」ということが事態をより悪くしています。これは行政の側の職員一人一人が、何のために文化行政を進めるのか、どのようにすれば一番効率的なのか、その手続きは何かなどについて漠然としか考えていない状態のことで、その結果とりあえず何にでも使える「多目的ホール」にしよう、とか、いろんな目的別にいくつかホールがある「主目的ホール」にしよう、とかの方針がでますが、結局「無目的ホール」になってしまう、という事態が起こるわけです。そして土木事業や首長の意向が優先されて、ただの「ハコ」ができてしまうわけですね。さらにそのようなホールに派遣される職員も、ホールのことをすべて把握したプロが来るわけではなく、逆に「今まで芝居は1回も観たことがない」などというたわけものが来るわけですし、やっと仕事に慣れたと思ったらどこかにとばされる、などという事態になり、文化行政が滞る原因になっていると指摘されています。そりゃ一部のいい劇団には直接助成金が回るかもしれませんが、中小の劇団にはやはりホールという形でしか利益が回ってこないわけですから、そのホールがこんなことではちょっと頭の痛いところですよね。

 しかし助成金を受ける大劇団にも悩みはあるようです。それは青年団の役者のインタビューがいうように、「現代演劇の関係者の中には、歌舞伎なら公的助成を受けてもいいが現代演劇については疑問を感じている『おじさん』に対して公的支援の正統性について系統的にまたわかりやすい表現で説明できる者はまだきわめて少ない」という現状です。歌舞伎の奥ゆかしさについわれわれはシャイになりがちですが、「歌舞伎がいいのになぜ僕たちはダメなんだ」という声はあげてもよいのでは、と思いますね。また、「国家や自治体あるいは企業や財団というパトロンからのサポートや庇護を受けながら、どのようにして表現上の自由や自立性を維持していけるのか?」という深刻な問いがクローズアップされてくるのです。

 この第2章では「文化助成ブーム」の進展とその限界について語られています。「どんな形でも劇団員を食わせたい」という思いがある人なら、公的助成は非常に有効な手段であると同時に、そこに立ちはだかる行政との軋轢、さらに劇団の「公共性」に絡んだ問題とも向き合わなければならないことが読みとれました。

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Created by Yuichi Matsumoto
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