演劇ブックレビュー 第12回

佐藤郁哉『現代演劇のフィールドワーク』東京大学出版会、1999年

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 第3回から、第II部「演劇界の誕生・演劇人の誕生」に突入します。第3章、4章、5章で、序章であげられた劇団・演劇人の3つの問題、すなわち「業界化」「多様化」「プロ化」について考えるところです。今回は、第3章「演劇界の誕生」、第4章「劇団制のゆらぎとオルタナティブの模索」をレビューしていきます。

 第3章は、ちょっとヒストリカルでポリティックなテーマだけに、今までの章に比べると少し退屈な印象を受けます。あまり中小の劇団にはなじみのない話かもしれませんね。
 演劇界は「タコツボ」というたとえでよく語られてきました。それはつまり劇団同士が自分の殻に閉じこもり、自己主張を続け、他の劇団のポリシーは全く認めない、そういう姿勢がすべての劇団に共通していた、という状態です。現代ではそうでもないような気もしますが、やっぱりそうなのかも、などと思ってしまいます。本章の序盤は、新国立劇場のこけら落とし公演における芸術監督決定をめぐる騒動を通じて、演劇界がまとまりのない状態から、まがりなりにも形成されようとしていくプロセスを追っています。文化庁との折衝における演劇界側のまとまりの悪さは、「そもそも日本に演劇界とよぶに値するものが実体として存在していなかった、あるいはその存在が希薄であったという点に求められる」(p.231)とあります。それは演劇界における3つの顔、すなわち「劇壇(芸術界)」「政治的闘争の場」「業界」について考えるとよく理解できます。劇壇(芸術界)としての演劇界は、イギリスとの比較が理解を促進させます。イギリスの場合は「リアリズム演劇が規範とよべるものを形成しており、またシェイクスピアの戯曲が演劇人のあいだだけでなく広い層の人々の間に聖典(カノン)として共有されている」(p.240)のに対し、日本では「現代演劇のスタンダードとよべるような作劇法や演技体系も確立されておらず、また演劇にかかわる人々が共通の土俵の上でコミュニケーションしうる言語、共通の了解事項、知識といったもの」(p.240)が決定的に欠けているという現状がありました。これでは各劇団内で閉じこもるのも無理ありませんよね。さらに昔の劇団では「しばしば政治的な運動体としての側面をも持っていた」(p.241)ため、思想の違いによる反目・分離のエネルギーを生みやすくなっていたという事情もあります。結構昔の演劇部は学生闘争に加わったりしていたケースがあるらしいですね。

 このような現状を少しでも打破すべく1956年に結成されたのが、業界団体である新劇団協議会、今の日本劇団協議会です。上のような状態の演劇団体の集まりですから、ケンカを防ぐために自然と「3つの申し合わせ原則」を了解事項として共有することになりました。それは、

  1. 互いの劇団の自主性を尊重し利害の一致した経営運動上の問題をあつかう
  2. 芸術創造上の問題には触れない
  3. 政治的問題や行動には加わらない

 の3つであり、これによって「対立と分離の軸であった芸術理念と思想信条の違いを乗り越えて、新劇系の劇団の間でかろうじて『ゆるい組織』ないし『ゆるやかな集まり』を成立・維持させることが可能」になった(p.245-246)のです。そして新劇団協議会は、入場税問題、観客団体の組織化、マスコミ(映画放送出演)対策関連問題などの問題に対応していくことになったのです。
 その後公的助成の拡大とともに演劇界も構造化を迫られ、それに対応するように新劇団協議会が日本劇団協議会へ、また演劇人会議や日本劇作家協会も発足し、「演劇界」としての形を整えていきます。しかしまだその形は曖昧なものでしかなく、特に東京の大型劇団しか組織できていない現状では、地方劇団や中小の劇団にとっては「演劇界」を実感する機会すらありません。真の演劇界の構築のためには、現代演劇を巡るさまざまな資源の「クリティカル・マス」(最低限の資源レベル)と、包括的な演劇人のアイデンティティの形成だとして3章を結んでいます。

 第4章は日本における演劇表現の代表である「劇団制」をとりあげ、それにさまざまなオルタナティブが発生している現状を取り上げています。ここは「劇団」という形態そのものを考える章で、劇団に入っている人なら誰でも何らかのヒントが得られるかもしれません。
 ここは第1章でも触れた劇団制の持つ基本的なジレンマがまたクローズアップされています。それを明確に訴えるのが、筆者が作った遊眠社のキャスト表です。徐々にメンバーが固定化されていく様子がよく分かると思います。このように日本の劇団は「一種の共同体的な組織の中でしばしば生活を共にするような形で演劇活動にかかわるシステムとなっている」(p.292)のです。それに対して欧米のシステム、つまり「アメリカにおける非営利的な演劇生産システムの代表である地域劇場(劇場システム)」と、「商業演劇の代表であるブロードウェイにおける演劇生産システム(ブロードウェイ・システム)」(p.295)と比較した日本の「劇団システム」は、いくつかの特徴を持っており、それがそのまま、自立した経営システムとしての劇団の限界をそのまま物語っています。劇場は有料の貸し劇場を利用、公演収入と自己負担が収入源、俳優が構成員の過半数でかつ非流動的、などの特徴を持っている日本の劇団システムは、「日本において成立可能な唯一の演劇生産システム」(p.292)ともいえるのです。

 しかし日本の劇団は「固定的なメンバーからなる半永続的な組織」(p.300)であり、それが在籍年数による一種の階層構造を構築し、なおかつ天才といわれる俳優の才能がクローズアップされることでチームワークが阻害されるというジレンマを生み出すことになっています。このような点は思い当たる人もいるかもしれませんね。そして劇団は「経営組織」「運動体・組合」「共同体・互助組織」「教育機関」という4つの顔を持っており、そのすべてを劇団が担わなければならないところに、劇団の負担の大きさが現れている、としています。収入を確保する経営組織、演劇そのものを地域に啓蒙していく運動体、実力派の俳優の人気によって劇団を支えていく互助組織、そして演劇のスキルを基礎から伝授していく教育機関の4つの顔です。これはスタッフについても同様であり、中小の劇団ではたいていは役者がスタッフ活動を兼務することが多いでしょう。欧米では経営を担当するスタッフ、演劇専門の教育機関、あるいはスタッフ組織および労働組合が組織されており、劇団の負担を軽減するインフラストラクチャーが整備されています。まあスタッフ活動を役者が兼務するのも楽しいんですが。
 そして日本の劇団のもう1つの不幸は、「『そもそも劇団とはこのようなものだ』という明確なイメージを構成員に対してもあるいは外部(社会)に対しても」(p.312,括弧内筆者)提示できなかった、という点です。つまり「僕は劇団に入っている」という社会的に認められた「組織アイデンティティ」を構築できていない、という問題があるのです。小さな劇団は主宰者を中心とした一種の「新興宗教」のような形態になり、大きな劇団はその公演の多さから収入の安定の方へ向かったり、あるいは人気俳優がメディア進出することで世界観を維持できなくなったりします。このように劇団制は多分なジレンマをはらみながらも、常にその形態がとられ続けてきたわけです。

 しかし最近では「新たな演劇生産システム」を模索する動きが出てきます。それがこの章でいう演劇生産システムの「多様化」です。その最たるものが「プロデュース公演」でしょう。固定的な劇団員で構成するのではなく、作品にあわせてその都度役者を募集する「座組み」で公演する方式は、役者の流動性を高めます。そしてもう1つは「劇場のプロデュースシステム」です。ここでは「1980年代後半は、劇場が単なる『貸し小屋』の範囲を越えて演劇の企画・製作において大きな役割を果たす」(p.324)ようになります。そこからアメリカの地域劇場システムのような、劇場付属の劇団・カンパニーを設けるところも出てきました。水戸芸術館、尼崎ピッコロシアター、兵庫現代芸術劇場などの動きは、新しい演劇生産システムの萌芽といえるかもしれません。そして劇団の著名な演出家が商業演劇の演出も担当するという「ジャンル横断的な公演企画」の増加もその動きの1つでしょう。

 しかしその新しい動きを軌道に乗せるには、まださまざまな問題もあるようです。公共ホールにおける専門的なスタッフの養成、プロデュース公演において全員の意思が統一できず「寄せ集め」状態に終わってしまう問題、それと関連して「各劇団の『クセ』を越えた共通言語ないし『スタンダード』」(p.338)を持つ俳優の育成、等がその一部です。まだまだ道のりは遠い、という感じですね。
 今回はちょっと理論的なところが多く難しい内容になってしまいましたが、中小劇団にも関連のある部分もありましたね。まず1つは「他の劇団とのコラボレーション」の問題です。もちろん将来的にはそうもいかないかもしれませんが、狭い地域であれば、比較的似通った演技の方法、および育成の方針がとられることが多いでしょう。それは擬似的ながらその地方の「スタンダード」が作られやすい、という短期的な利点を生む可能性があります。経営的な問題はさておき、役者のみなさんは他の劇団の公演にどんどん参加すべきです。あるいはプロデュース公演という形で、他劇団との交流を深めていくことが重要でしょう。ただでさえ一極集中の演劇界、狭い地域で対立している場合ではありませんね。それともう1つは地域劇団の強みとなる可能性のある「劇場付属のカンパニー」です。はっきり言ってその地域に1つの劇場があり、なおかつ1つしか劇団がない場合、その劇団はその劇場の唯一の付属カンパニー候補です。なかなか公共のホールでは難しいかもしれませんが、定期的に公演を打つという条件は、稼働率を常に上げたがっているホールにとっては、実はおいしい条件なのです。だめもとでも交渉してみる価値はあると思います。それでホール代だけでも浮かせることが出来れば万々歳でしょう。なかなか定期的に公演が打てる自信がない、という場合は、複数の劇団と地域の演劇団体を結成し、持ち回りで公演を打つ、という方式も有効かもしれませんね。

 今回は次回と続いて、結構経営的なお話が多いですね。参考にしてください。

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Created by Yuichi Matsumoto
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