演劇ブックレビュー 第13回

佐藤郁哉『現代演劇のフィールドワーク』東京大学出版会、1999年

−4−

 第3回からずいぶんあいてしまいましたね。というか前回は去年の6月ですって。ほぼ1年半!…あけすぎです。すみません。やさぐれていたので。


 第4回でこの本のレビューは終わりです。もうすっかり前回までの流れをお忘れかと思いますので、まず過去3回のレビューを読み返してください(笑)。そして今回は、第5章「演劇人の誕生」、そして第6章「結論」をレビューしていきます。

 第5章は、演劇人がどうやって自立した職業として成立するのか、つまり「プロ化」についてです。いちばん関心のあるところだと思います。「劇団の役者やってるんだ」というと、たとえプロでも、なんだかアマチュア劇団というイメージがつきまとってしまいます。本章でもそのような導入から入ります。しかし劇団の役者が「食べていけるようになる」ための手段は、俳優がマスコミへの露出によってテレビや映画での出演料を得る、あるいはここでいう「大衆化」、つまり「集客の見込める『名作』を中心にしたレパートリー編成や商業演劇との交流あるいはスター俳優中心の企画」(p.345)です。しかしこんなことでもできればいい方ですよね。それほど劇団のプロ化は困難で、たいていは出演料すら払われないのがふつうですね。「まるで同人誌のようだ」という意見が引用されていますが、うーん、反論できません。チケットノルマを売って公演費用をまかなうのは、ほぼ同人活動と同じですものね。

 この章ではそういう現状をふまえた上で、プロ化に向けての模索を続けていきます。90年代の演劇ブームにのったプロデュース企画の出現、劇場主催の公演、ホール建設や助成基金の設立などという追い風で、演劇にも「公共性」が求められるようになっていきます。突然吹いてきた「追い風」にのっかっていければいいのですが、逆に困ってしまう演劇界。むしろそれによって数多くの問題が表面化する形になってしまいました。状況を整理したところで筆者は、プロ化には3つの側面があると指摘しています。(pp.347-349)

  1. 職業性…ある活動が職業として成立していること。
  2. 専門性…ある職業活動を行う上で十分なだけの専門的技量を持っていること。
  3. 専門職性…長期にわたる訓練を必要とするだけでなく、一般に理解しがたい内容を含む高度な専門的知識と技術、資格保障、ギルド的な自己統治のシステムなどいくつかの条件を満たしていること。

 通常「プロ化」ということで問題にされるのは1,2だけです。両者でも同時に備えることは難しいです。生計は立てられるけど専門的技術を有しているとは言い難い場合(アイドルとか)、またうまいんだけど職業として成立していない場合(ほとんどのうまい役者さん)というのはありますね。そしてさらに、3の専門職性(プロフェッション)が、演劇を社会的位置づけさせる重要な要素であるとしています。それによって社会の中で「『仕事をさせられ、何かを作らされる』のではなく、『能動的に仕事をし、何かを主体的に創る』条件を勝ち取ることが出来るようになる」(p.349)というのです。

 そしてここから、1から3のそれぞれについて考えていきます。まず1.の「職業性」です。筆者が独自に集めたデータから、役者であれスタッフであれ、報酬は非常に少なく、とうてい副業の収入がないと食べていけない、ということが明らかになります。そんなのわかりきってますが、びっくりなのは欧米においても、こんな状況はあまりかわらないということです。そうなんですねー。しかし2.の「専門性」ということになると、欧米と日本では雲泥の差があります。日本の大学で演劇コースを持っているのは6校(全部私大)、高校は5校しかありません。さみしい。それにくらべてアメリカでは、舞台芸術関係でなんらかの学位を発行する教育機関は、403校あるんだそうです。違う…ぜんぜん違うよ…。しかもそれがちゃんと演劇人のキャリアに役立っているそうですよ。またヨーロッパでは、国立ないし王立の少数精鋭のエリート養成校もあるそうです。演劇だけを教える東大があるようなものでしょうね。すごい。日本ではそれらにかわって、民間の専門学校や劇団付属の養成所があるのですが、それらにはカリキュラムの体系性の欠如、受講生のとりすぎ、生徒の雑用係としての扱いなどの問題が存在しています。王立の養成所なんぞ日本では「無い物ねだり」だと筆者もいっているのですが(p.360)、まず土台作りでずいぶん差がついていることがわかりますね。確かな技術を持った演劇人の絶対数が多いからこそ、いい芝居の土台ができるのです。えらい人の意見。

 「…私の言いたいのは、一人の天才が生まれるためには、他の大勢の同じようなことをやっている者が必要だということなんです。それこそが、政府資金の役割だと思います。つまり、特定の天才に投資するのではなく、天才が生まれる環境、エコロジーを作り上げるということなんです」(p.361)

 問題を見事に言い表していますね。現状は技術スタッフは人材不足で、養成機関としての劇団の機能が低下しているそうです。
 そして「専門職性」です。いまいちうまくイメージできないという方は、演劇も医者や弁護士のような職業にならなければならない、ということだと思ってくだされば結構です。役者にはめっちゃ高度な体系的知識もありませんし、自己統治の倫理基準もありませんし、教育機関も免許もありませんし、地位向上を目的とする団体もありません。アメリカにはアメリカ俳優組合(通称「エクイティ」)という職能団体(労働組合みたいなもの)があり、ストライキを起こして労働条件を改善させたりしています。このような意見を代表するような団体は日本にはありません。あるんですが、「同業者の親睦団体としての性格が強」く(p.367)、別にあるからといって、それに加入するからといって、加入者が何か利益を享受できるわけではないのです。これには役者は、劇団に所属していることで、「劇団の一員」としての「雇い主」の側面と、「劇団に雇われる」人としての「被雇用者」の側面を両方持っているという複雑な事情があります。どっちについていいかわからないのです。

 そしてこの「専門職化」をともなわない「職業化」や「専門化」は、「サブカルチャー的でアマチュア的な文化活動にとどまっていた段階ではむしろ持ち得ていた表現上の自立性や自由闊達さの放棄に結びつきかねない」(p.373)と指摘しています。すばらしい指摘です。報酬を保証されることは大事ですが、それによってやりたいことができなくなってしまっては、何にもならないからです。逆に演劇をそういう専門職性を備えた職業として成立させることが出来れば、報酬と表現の自由を兼ね備えた、芸術家としての「演劇人」になることができるとしています。まさに理想の姿ですね。

 しかし安易な専門職性の強化はさまざまな問題を引き起こしかねません。現代演劇は歌舞伎のような「旧劇」にかわって「新劇」が登場し、「アングラ」が登場し、「小劇場系」が登場してきたように、スタイルの交替および素人と玄人の交替(p.379)としてとらえられます。これは古いスタイルがスタイルとして定式化し、ようするに決まり切ったことしかできないようになって、それに反発した新しいスタイルに取って代わられる、そしてそれはいつも最初は素人とみられていたもの、ということです。このような「定式化」におちいる可能性も考えなくてはなりません。また、演劇の組合がいろいろうるさい指示を与え始まる危険、それぞれのスタッフ間の利害関係の表面化(たとえば劇作家だけ優遇するような制度に反発したり)、などの問題も考えられます。この問題を乗り越えるのには、そういうスタッフ間の違いを越えた「演劇人」としてのアイデンティティの確立と、観客と演劇界を繋ぐサブシステム、具体的には演劇批評家や文化行政担当官、チケット流通業者や広告代理店などの発達です。役割に期待したいところですね。

 そしてさまざまな問題を指摘したところで、最後の第6章に入るのですが…。


 うーん、最終章は…この本が「社会学の本」であるという限界が出てしまいました…。だいたい学問書というのは最後に理論的検討にはいるのですが、さすが指折りの社会学者です。はっきりいってとても読んでくれとおすすめできるレベルではありません。たっぷり難しい用語が出てきます。しかし「読むのがめんどくさい」という演劇人のニーズに応えるのがこのコンテンツの主旨。がんばってわかりやすくまとめてみます。


 日本の現代演劇は、歌舞伎のようなこれまでの舞台芸術にかわるものとして導入されましたが、その出会いはけっして幸福なものとはいえません。最初は政府による度重なる弾圧や冷遇を受けたと言います。そのような背景から社会に一定以上の理解層(クリティカル・マス)を作り出すことは出来ませんでした。その「芸術と社会の不幸な出会い」(p.398)が、今日の演劇の地位を反映していると言います。

 また、この「芸術と社会の出会い」という表現自体、演劇の立場をよく表しています。なぜなら演劇も社会の中の構成要素の1つであるはずだからです。これは見方の違いなのですが、要は演劇が社会生活を構成する他の制度に対して、かなりの程度の独立性と自律性をもっているからなのです(p.401)。わかりにくいですが、「舞台の上ではなんでもあり」ということです。たとえば家族制度は社会を構成する制度としてとても重要で、なくなったらえらいことですが、演劇の設定で「もし家族が亡くなったら」というストーリーを創って、それがどんなドラマを生み出すのか、というお芝居を創るのは自由ですよね。また経済制度も社会の中でとても重要で、円でものが買えるからぼくらは暮らしていけます。でもたとえば「明日から日本の通貨は大根だ」という設定を創って、コメディにするのは舞台の上では自由ですよね。それは「表現の自由」のもと、それが社会的に認められている(リスペクトされている)といえるわけです。ですから演劇は社会の中にいながら、他の制度との間の関係をいろいろ考える、という制度としてとらえ直すことが重要だとしています。

 では演劇を社会の制度として確立するにはどうすればよいのでしょうか。そのためには、ちょっと長めに引用しますが、「芸術が社会において果たす一定の機能について理解が得られ、その活動の正当性や社会的必要性が認知されるプロセス」が必要です。「芸術は日常生活においてはたしかに不要不急の存在かも知れないが、それ以外の何らかの機能を果たし社会にとって必要であると見なされてきたからこそ助成や支援の対象となってきた」からです(p.405)。「そんなの当たり前だ、演劇は必要だ」とお思いかもしれませんが、では他の人にこう聞かれて、納得させられるような答えが出来るでしょうか。

  • なぜ、演劇は必要なのか?
    • なぜ、歌舞伎や能は必要なのか?
    • なぜ、現代演劇は必要なのか?
      • なぜ、宝塚の演劇は必要なのか?
      • なぜ、新劇は必要なのか?
      • なぜ、前衛劇・アングラ劇は必要なのか?

 この問いに納得できるような答えが出来ることが、その芸術の制度としての「強さ」をはかる試金石になるといいます。引用されている山の手事情社の安田氏の、「もし明日演劇がなくなる、と聞かされても大半の日本人は何の痛痒(痛み)も感じないことだろう。…しかし、これがたとえば音楽や美術であったらどうだろう」という言葉が印象的です。

 前述のように社会の一定の理解なくその浸透を進めようとした演劇は、社会の中で必要な「制度」として完全な形で確立されていない、ということです。しかし制度として確立されると、表現の自由が損なわれるという「制度化と独創性のディレンマ」に、演劇界はあると指摘しています。

 このディレンマを乗り越える1つの案として筆者が提示しているのが、「文化産業システム」の構築です。具体的にはスタッフの枠を越えた「演劇人」のための、生産者(演劇を創る人)と、流通者(観客に見せるための人)に、それぞれその品質を安定させ、同時に報酬を与えるようなシステムです。前者が劇団なら、後者はマスメディア、チケット会社、劇場などです。このようなシステムの構築が、演劇を社会的制度として成り立たせることにつながっていくとしています。

 ふう。やっと読み終えました。

 読後の感想としては、これはしかたないのですが、「じゃあ演劇人はどうすればいいの?」という問いに、明確な答えがなかったことが残念です。だってこの本は社会学の本であって、演劇を社会的制度としてとらえ直した本ですので。しかし少しさみしく思いました。また、もうすこし比較の中に「映画」という産業をとりあげていただいてもよかったのではと思いました。演劇にとって最大の競争相手は、まぎれもなく映画です。「なぜ、演劇は必要なのか」という問いは、「なぜ、映画ではいけないのか」という問いに答えることでもあると思うからです。結論の前まで(演劇界にとって)いい流れできていただけに。

 しかし、同書がプロからアマチュアまで、演劇界全体にとって、すばらしい画期的な本であることは間違いありません。社会的制度の分析という視点は、これまでの演劇書にはなかった、より明確な現状分析と将来の展望を示してくれたと思います。これは社会学と経営学の視点を兼ね備えた筆者の視点ならではのものです。なによりこの本のすばらしいところは、「演劇人は食えない」という問題に真っ向から取り組んでいることです。演劇関係者ですらあきらめているこの問題に真剣に取り組んでくれたことは、われわれ演劇関係者に大きな希望を与えてくれたのではないでしょうか。この背景には、実際に某有名劇団の制作スタッフとして働きながら、演劇界の問題について考えたという、より現場に根ざした問題意識と、演劇に対する多少の愛があったからではないかと思います。

 また筆者が足でかき集めたり、インタビューを行ったりして集めた豊富な資料は、個々の劇団から演劇界の要職にいる方まで、演劇の未来を考える貴重な材料になりうるでしょう。このレビューをお読みになって、少しでも興味がわいた方は、一度お近くの図書館に行って、お手にとって見られることをおすすめします。

 一流の社会学者にして稀代のフィールドワーカーである筆者に、演劇というテーマを与えてくれた神様に感謝したいような気持ちです。
 本書のようなどしどし出版されることを望みます。

(2001年11月23日)

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Created by Yuichi Matsumoto
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