演劇ブックレビュー 第20回


前田司郎『濡れた太陽 高校演劇の話』(上)(下)朝日新聞出版、2012年


本作は高校演劇のおもしろさと高校生の心情を丹念に描いた名作です。
作者は劇団「五反田団」を率いる劇作家。その作品が高く評価されているのはその数々の名作をあげなくても知られていますが、小説でここまでおもしろいのはさすがの才能といえるのではないでしょうか。そして本作をこの「演劇ブックレビュー」でとりあげるのは、本作がお芝居を作りたいと志すすべての人に参考になる作品だからです。


主人公は小説を書きたいと思いながらなかなか最後まで書けない、自他共に認めるあんまり人に好かれなさそうな高校1年生。ある日新入生歓迎の団体行事でレクリエーション係の友人に誘われ、寸劇をやったこと(そして結構うけたこと)から、戯曲を書いてみたところ、今までになくすいすい書けました。そこから仲間を募って演劇部に入ることになります。それと前後して本作のヒロインは、いろいろ考えたあげくに演劇部に入るのですが、それまで女子3人だったためなかなかなじめずにいました。そこに主人公たちが入ってきて、高校生らしいぶつかりあいなどを経験しながら、1つの作品で高校演劇の大会に臨むというストーリーです。


本作はまず高校生の心理描写に非常にたけています。お互いに空気を読みあったり、きまずい沈黙が結構長く流れたり。とりとめのない会話やなんとなく場が流れていくあたりの描写はとても緻密に描かれていますし、高校生らしい恋愛関係の機微も実に緻密です。それはもちろん主人公をはじめとする登場人物の明確な設定があってこそ。「自分の分身」といわれる主人公の内面描写はかなりリアルです。それらが劇作家らしい印象的な表現で綴られているのですから。

「回収できてない『いつか』が多過ぎる」(上、p.9)
「さっきの出し物について話した。声を殺して笑いあった。笑いすぎて苦しかった。太陽は心底楽しかった」(上、pp.120-121)
「しかし、太陽は少し興奮していた。こういう夢みたいな話というか、想像上の出来事というか、思ったことというか、とにかくこれまでの人生では、考えるだけで、それが現実に反映されていくようなことがほとんどなかったような類のことが、こうして実現され始めたことにだ」(上、pp.212-213)
「演劇部はダサすぎた。演劇という響きがダサいのだ。演劇とは何かとか知らないが、ダサいと思われてるってことは知っている」(上、p.254)

そして彼らが演劇部として1つの作品を作り上げていくプロセスや、稽古で各自が思っていることと稽古場での対話などは、おそらく演劇に関わったことがある方なら猛烈なリアルを感じるのではないでしょうか。演出の内面、役者の内面、それがぶつかり合い、言葉になるところとならないところがある。小説ならではの描写の丹念さが発揮されています。

「演劇部は実は練習をちゃんとやる。ちゃんとやらないと演劇ができないからだ。だけど、練習をちゃんとやると、部員が逃げていく、そうすると練習ができない」(上、p.14)
「果たしてこんなことをしていて演劇が上手くなるのか?そう思いながらも、他にすることもないし、何かやっていないと不安なので三人は発声練習をする」(上、p.16)
「これはもしかすると芸術家が始めの方で出会うポピュラーな岐路の一つかもしれない。自分の勘を信じて我を通すべきか、他人の意見を聞いてより多くの人に受け入れられるものを目指すか」(下、p.118)
「普通にやってくれて大丈夫と言われても、それが一番難しい。但馬は下を向いて考え出してしまった」(下、p.198)

加えて本作では戯曲のように台詞を並べて書くパートがしばしば挿入され、それがいいリズムとテンポを生み出しています。これは新しい。それも含めて抑制された文体とリズム、味わい深い終わり方と、小説としても高いレベルのものであることがわかります。


主人公の演出観も(萌芽的ではありますが)しばしば挿入され、なるほどと思わせる部分も。教材にすれば2年くらいもちそうな内容になっています。こうやって演出家は成長していくんだというプロセスはとても関心があります。そこに日本の演劇や高校演劇の構造的な課題もときどき織り交ぜていて、考えさせられる部分も。それが演劇をはじめたばかりの主人公の目を通して、「その時点」での課題として描かれ、もちろんその時点でそれを解決する知恵はないので、より課題が現実味を帯びて提示されています。

「演出家はその戯曲を面白いと信じていないと仕事にならない」(下、p.210)
「セリフは言葉の意味内容のみを伝えるためのものじゃないと太陽は直感している。意味内容は実は二の次なのだ。(中略)意味内容とは別の次元のコミュニケーションがあるから芝居は面白いのだ」(下、p.212)
「太陽は何かをつかんだ。それは気持ちの姿勢のようなものだ。稽古場での気持ちの持って行き方のようなものだ。(中略)だから気分はどっちに傾いてもいけない。その両方が混在するような気持ちの姿勢で稽古場に行くのが大事なのだ。その辺の感覚を太陽はつかんだ」(下、pp.236-237)

何より感激したのは、高校演劇の日常の稽古風景がとても丹念に、しかも青春の輝きをもって描かれていることです。部員で夏合宿に行ったり、稽古終わりにお誕生日パーティやったり。すでに携わっている高校生にはめっちゃ参考になりますし、昔やってた方には「あるある」感をもって読めることでしょう。閉塞感を打破するために部員はあるところに出かけて稽古するのですが、その描写はすごく読んでてうれしくなりました。

「こういうことなんだよな。太陽は思った。これは単なる悪ふざけだけど、真面目にやるよりは全然ましで、皆適当にやっている分、力が抜けているから芝居臭くないし、こういうことなんだ」(下、p.236)
「そろそろ陽が沈みそう、雲が薄ら赤くなっている。車のところに帰ってきたサーファーが恋人と、ボードを持ってこっちをみている。誰もそんなこと気にしなかった。ずっと笑ってる」(下、p.236)


やがて主人公たちはオリジナル作品を持って大会に臨みますが、本作で収録されている戯曲は実際に作者が高校生の時に書いた戯曲なんだそうです。高校演劇らしく、でも高校生が書いたとはとうてい思えない、おもしろい作品です。

終盤にはその大会での上演プロセスが緻密に描かれています。いちいちネタ部分で笑いがどうだったとか、はけたあとで反省したり、手応えを得たり、他の人のセリフが抜けそうになって息をのんだり。このあたりの描写はとても真に迫る(当たり前ですが)もので、息づかいも伝わってきそうでした。

個人的に終わりがとてもすてきな終わり方でした。最近の小説にありがちな、きれいなラストというか飾り付けられたラストではない、ソリッドな感覚の終わり方。好感が持てました。

最初はふせんを貼って読んでいましたが、すぐに熱中して貼るのを忘れてしまいました。

高校演劇のおもしろさを伝えるのに、たぶんまんがとかだったら、稽古風景を中心に、まったりだらだら日常が続いていく的な作品ができそうですが、たとえそれが好評を博しても、レベルの高い作品をばんばん生み出すような高校生が出てくるわけではないでしょう。今も昔も演劇を取り巻く環境はよかったためしはあんまりありません。それならたんに演劇を身近に考えてもらう作品よりも、青春のもやもやや鬱屈をすべてお芝居にぶつけることに全力を尽くす、本作のような作品が求められているといえます。

よくも悪くも個性的な面々がぶつかり合いながら、それぞれの立場で作品に打ち込み、それぞれの目的をもって舞台に上がり、それぞれの手応えを得る。それは今の高校生、もちろん大学生にも求められることだと思うんですが。


読んでいていろんなことを思いだし、いろんなことを考えさせられる作品でした。本作のような作品がもっと出てくることを望みます。


(2012年8月1日)

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Created by Yuichi Matsumoto
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