演劇ブックレビュー 第7回

風間研『小劇場の風景 つか・野田・鴻上の劇世界』中公文庫、1992年

 本書は、戦後から現代までの演劇活動を、「小劇場」に焦点を当てて概観し、時代背景にそって考察しています。一連の先達の活動を振り返ると、演劇に携わる人ならきっとエネルギーをもらえる、そんな本です。

 本書の構成は、寺山修司・唐十郎などの第1世代、つかこうへいなどの第2世代、野田秀樹などの第3世代、鴻上尚史などの第4世代、それ以降の第5世代という大胆な切り口を用いています。このように各世代の中心的な人物に焦点を当てて、演劇になじみのない人でもわかりやすくする試みは、評価できます。
 第1章は「『六十年安保』のあと、『若者文化』は炸裂する」というタイトルです。安保闘争による「反逆」の機運が、それまでの新劇一辺倒の演劇界に革命をもたらす原動力となり、寺山・唐などがそれをリードしていったプロセスが描かれています。作者は演劇の専門家ではありませんが、各演劇雑誌などの批評・論評などを多く引用し、時代背景を生々しく伝える工夫をしています。管孝行の新劇に対するアッピール、「五十歳になった新劇よ、地球をその分だけ逆回しして、河童の国のニヒルな赤子のように、生まれる前に堕胎されてしまえ、おまえは生まれない方がよかったのだ」(p.10)には、しびれました。演劇人なら誰でも関心がある、寺山や唐の演劇に対する姿勢や考え方などがありありとうかがえます。全体にそうなのですが、この第1章の人々の情熱的、激情的な演劇活動には、読み手にも多くのエネルギーを与えるようです。

 第2章「つかこうへいが、演劇を大衆化する」では、主につかの演劇活動に焦点を当てています。韓国にもいったつか、実はそれまでの演劇界を「逆転の論理」で次々と覆していった、すごい人だったんですね。その中でも特に「父親の権威の失墜」にスポットが当てられています。つかファンならぴんとくるはずです。そしてこのころから「笑わせてくれる」存在としての演劇の姿が徐々に形を為してきて、TVで有名になるために俳優養成所に殺到する役者が急増するなど、観客の姿も変わってきます。
 第3章「カッコウいい、野田秀樹の登場」では、野田秀樹と「夢の遊眠社」の活動を主に取り上げます。野田は「演劇は生の舞台である」(p.105)という視点をもとに、視覚に訴えるエンタテイメント色の強い舞台で大成功を納めます。そして言葉に頼らない(もちろん戯曲のすばらしさも強調されますが)、「演劇とは、舞台で戯曲をなぞるものではなく、舞台の上にいる役者そのものを見ることである」(p.125)という認識を貫いています。同時に野田秀樹という人間自身のかっこよさとそれに対する共感も人気を支えているとしています。なるほど。あと、野田の芝居を新劇風に演じて失敗した劇団のエピソードもおもしろいです。

 第4章「鴻上尚史は、若者の感性を刺激する」では、鴻上尚史に焦点を当てます。彼が野田秀樹と同時期に活動しながら「第4世代」に位置するのは、作品の背景となる考え方の違いが大きく影響しているようです。「鴻上の世界が、野田のそれと決定的に違うのは、最後まで芝居を見続けても、新しい生き方の提案が見られないことである」(p.141)と指摘し、現実を冷静に羅列し、「終末への諦念」を志向する鴻上の舞台がよく見えてきます。また川村毅の「第三エロチカ」との比較も興味深いです。
 第5章「『何となくクリスタル』な八十年代の演劇」では、田中康夫の『何となくクリスタル』という小説に出てくる人物や風俗が、80年代後半を予感するものだったとしていますが、ちょっとよくわかりませんね。要は「『楽しみ感覚』で作る演劇」、つまり等身大の役者が親しみやすいお話を個性を強調して展開するという風潮が広がってきた、ということです。竹内銃一郎の、「いま数多ある<劇団>がなにを根拠に成立しているかというと、おおむね以下の三つに落ち着くのではなかろうか。それはつまり、疑似家族的情緒ともいうべき友達の友達はみな友達だ感覚であり、作家・演出家でもある劇団主宰者の才能及びキャラクターへの恋愛感情にも似た思い入れであり、サクセス・ストーリーを夢見る共同の利益追求である。要するに、これは、原宿のブティックが成立する根拠と大差ないということであり、と同時に、かつて反体制的なイデオロギーやさまざまな演劇理念を集団の根拠としていた<劇団>は、いまや明らかに解体の危機に瀕しているということである」(p.175)という指摘には、考えさせられるものがあります。そういう考えがあってはいけないということではありませんが。このころになると(なるほどと思ったのですが)、演出家の名前よりも劇団名が演劇界で語られることが多くなります。この章で取り上げられている「劇団青い鳥」「遊◎機械/全自動シアター」「自転車キンクリート」「善人会議(現扉座)」などもそうですね。話の構成の仕方など、興味深いところも多くあります。

 ページ数の関係からか、ここで本書は唐突に終わります。終章として考察などあると、かなり興味深い内容になったはずと思います。あとがきでは取り上げなかった劇作家に対して謝っています。ですからファンのみなさんも許してあげましょう。
 全体の感想としては、演劇は時代背景、観客の世代とまさに裏表の関係にあるということがあげられます。「アングラ」と呼ばれながらも世間に果敢に挑戦した世代、観客のニーズを取り込み、急成長した世代、観客と目線を同じくして生き抜く世代。本書は1992年時点の本ですが、それから7年、現在はどのようになっているのでしょうか。何はともあれ、どの世代からも、演劇に対する思い入れ、情熱、パワー、洞察などを感じることができます。そこからは現代に生きる演劇人に何かしらプラスになるものが必ずあるはずです。考えの違いこそあれ、時代の中で何かを表現しようとした劇団の営みは、演劇の持つ力を感じさせますね。

 作者はかなりの演劇好きとのこと、思い入れが伝わってきました。観客の目として、また演劇人の目としても、本書は演劇という活動を考える上で最適の書といえそうです。そういう意味で、本書のような本がもっと出版されることを望みます。



(1999年5月20日)

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Created by Yuichi Matsumoto
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